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新撰組




土方蔵三




新撰組副長
天保六年〜明治二年(1835〜1869)

天保六年五月
武蔵多摩郡石田村(東京都日野市石田60)に生まれる

実家は富農、「石田散薬」を製造、行商
土方隼人義諄の四男、但し出生の数ヶ月前に父を喪う

長男 : 為二郎(盲目ながら豪胆な性格)
次男 : 喜六(歳三を養育)
三男 : 大作(府中粕谷仙浪の養子となり、医学を学んで「良循」と改名)
長女 : 周(天保九年、16歳で他界)
次女 : のぶ(男勝りの性格、弘化元年(1844)日野宿寄上名主の佐藤彦五郎の許に嫁ぐ)
佐藤彦五郎 : 近藤勇と土方歳三を出会わせた人(といってもいい)

6歳のとき、母(恵津)と死別、兄夫婦(喜六・なか)に育てられる
11歳のとき、江戸伊藤の松坂屋へ丁稚奉公
17歳のとき、大伝馬町の呉服屋へ丁稚奉公

試衛館道場をあげて、上洛に参加、新撰組副長として天下に勇名を轟かすが、
後、鳥羽伏見〜甲州柏尾〜五兵衛新田〜流山〜宇都宮〜会津へと転戦
さらに、仙台をへて、北海道で戦い五稜郭で銃弾を受けて戦死

明治二年五月十一日、函館(五稜郭)で戦死(享年35歳)
東京板橋駅前(北区滝野川)に墓があるが、
多摩郡石田村の石田寺にも墓がある(招魂墓である)
(土方家は本山の高藩山金剛寺の檀家だが、墓は石田寺にある)

改名 土方歳三(→内藤隼人(変名))
剣の腕前 天然理心流目録、25歳の頃から師範代
容貌 色の白い美男子、少し猫背がかかってるが上背がある
(引き締まった顔)
性格 如才がない、気障なところがある
だが内に秘めた性格は強靭である
嗜好 俳句。俳号は豊玉。『豊玉発句集』ある。
遊芸もたしなんでいる(と見る)
愛用の刀 和泉守兼定