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新撰組 |
新撰組史跡 |
新撰組 旧屯所 前川邸 (前川荘司邸) | |
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文久3(1863)年〜慶應元年(1865年)の間、 新撰組が屯所としていた壬生の前川荘司邸 綾小路通に面した 西側(写真奥)の出格子窓の部屋は、 芹沢派 最後の一人である、野口健司の自刃(切腹)の間 切腹前、山南敬助が、恋人の島原の天神 明里と格子窓越しに 別れを惜しんだと伝えられている、山南敬助の自刃(切腹)の間の 格子窓は、坊城通に面している (現在は取り払われ、杉板張りの壁になっている) 長州派の薪炭商・枡屋喜右衛門こと 古高俊太郎を拷問に掛けた 東の蔵も、旧前川邸にある 現在は、株式会社田野製袋所と個人の住居となっており、 前川家のものではなく、非公開のようです 土日祝日(10時〜17時)のみですが、玄関(隊士の行き来した当時 の勝手口)で、旧前川邸オリジナルグッズ他、新選組に関するグッズ を販売しているそうです 自分が行ったときは 閉館していたので、リベンジします (笑) |
所在地 京都府京都市中京区壬生賀陽御所町49 2010.03.28 記 |