|
||||||||||
新撰組 |
永倉新八 |
新撰組副長助勤―→新選組二番隊隊長(組長) ・ 剣術師範頭 | |
天保十一年〜大正四年(1840〜1915) | |
父
永倉勘次、松前藩江戸定府百五十石 松前藩(北海道)脱藩浪士 食客 慶応四年、甲陽鎮撫隊の敗戦後、近藤勇と新撰組を離脱 その後、靖共隊を組織し副長に就任、戊辰戦争をむかえる 明治二年、松前藩に帰参し、藩医杉村松柏家の養子となる その後、北海道樺戸監獄の剣道師範をしたが、退職後、江戸に出て板橋駅東口に近藤勇、土方歳三の碑を 旧幕府の軍医松本良順の支援で建立する 明治三十六年、小樽へ戻る 大正四年一月五日、北海道小樽で病死(享年76歳)(←77歳という説もある) 東京板橋駅前(北区滝野川)に墓がある |
|
改名 | 永倉新八→杉村義衛(維新後) |
剣の腕前 | 神道無念流免許皆伝(岡田十松練武館道場出身) |