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新撰組




斎藤 一


新撰組副長助勤―→新選組三番隊隊長(組長) ・ 剣術師範頭
天保十五年〜大正四年(1844〜1915)
天保十五年一月一日、江戸で生まれる
幕末御家人の父 山口祐助、母マスの次男
父山口祐助は明石藩の足軽だったが、後に江戸に出て、御家人株を買って飯田町に住んだ
姉 勝(カツ)
天保13年生まれ(らしい)
兄 広明(廣明)
天保14年6月1日生まれ

19歳のとき、誤まって旗本を殺してしまったことから江戸を離れ、京都に移り住んだ(らしい)

吉田道場の師範代をしていたこともあった
文久三年、19歳のとき新選組に入隊
慶応三年三月二十日、近藤勇、土方歳三の命令により密偵として、「高台寺党」に同士として加わる
慶応三年十一月十日、「高台寺党」として新選組を分離してから7ヶ月後、高台寺党に近藤勇の暗殺計画が持ち上がり、
決行日をこの二十二日としたことを通報するため、新選組に帰隊その時、山口次郎と改名
慶応四年、会津戦争で、「今落城せんとするを見て志を捨て去るは正義にあらず」とあくまでも、新撰組結成以来、常に支えと
なってきてくれた会津藩をいまここで見捨てることはできないと、会津藩との玉砕を
主張する斎藤一と、落城する会津藩より、明日の戦いに目を向ける土方歳三との考え方の違いにより、
土方歳三と決別
主戦論だった仙台藩から、旧幕臣らは来仙のすすめを受け、土方歳三らは仙台に向かうが、斎藤一はこれを断って、
少数の部下と共に城下郊外如来堂の戦いから姿を消す
その後も斎藤一は会津でゲリラ戦を続けたが、会津城落後は会津藩と共に斗南廃流となった

明治十年二月二十日、33歳のとき、警部補として警視局(庁)に奉職
              西南の役で負傷
明治二十四年四月二日、47歳のとき、警部で警視庁を退職し、
               高等師範学校附属東京教育博物館の看守になる
明治三十二年二月二十七日、55歳のとき、高等師範学校附属東京教育博物館を退職し、
                  女子高等師範学校の庶務係兼会計係(書記)になる
明治四十二年九月二十八日、65歳のとき、女子高等師範学校を退職
大正四年九月二十八日、東京の本郷・真砂町にて胃潰瘍で逝去 (享年72才) (←71歳かも?)

改名 山口一 → 斎藤一 → 山口次郎 (二郎?)→ 一戸伝八 → 藤田五郎
    (他にもあるらしい)
剣の腕前 無外流
容貌 背の高く見える人(らしい)。羽織の丈等からすると175cm位(???)
性格 無口な男、剣術に優れていた、几帳面 で奇麗好き(だったらしい)
愛用の刀 池田鬼神丸国重