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新撰組 |
新撰組関連年表 |
年月日 |
事項 |
文久二年(1862) |
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12.08 |
幕府が浪士隊募集を決める |
文久三年(1863) |
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02.04 02.08 02.23 02.14 03.03 03.10 03.12 03.13 03.16 04.21 08.18 09.18 09.25 |
江戸・伝通院において浪士隊結成、近藤勇ら試衛館門下も加わる
浪士隊、京都へむけ江戸出立 浪士隊入洛。壬生新徳時において清河八郎が尊王討幕論を宣言する 清河、学習院に上書を提出 関白鷹司政通より浪士隊へ東帰の命が下る 近藤勇、芹沢鴨ら京都守護職松平容保(会津藩主)に嘆願書を提出 近藤勇・芹沢鴨ら残留組が京都守護職預かりとなる 浪士隊、東帰のため出立 近藤勇ら松平容保と会談 14代将軍家茂が摂海警部巡視のため下坂、近藤勇らは警護にあたる 八・一八の政変により南門の警備にあたる。その功労により新撰組の隊名与えられる 京都壬生にて芹沢鴨(享年37歳???)・平山五郎、近藤勇一派の粛清にあう 八・一八の政変の功に対し、朝廷より下賜金を賜る |
元治元年(1864) |
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01.02 06.01 06.05 06.10 07.19 07.21 08.04 09.09 10.15 |
将軍家茂上洛警護のため、新撰組下坂
肥後宮部鼎蔵の下僕忠蔵を捕らえる 古高俊太郎を捕らえ、自白によって長州藩定泊池田屋を襲撃 明保野亭事件 禁門の変に新撰組出撃する 真木和泉守ら十七士を天王山に攻める 池田屋事件の功に対し、幕府より恩賞金を賜る 近藤勇・永倉新八ら江戸へ隊士募集のため下る 近藤勇・伊東甲子太郎一派の隊士と共に江戸出立(27日入洛) |
慶応元年(1865) |
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02.23 03.10 04.27 11.04 |
山南敬助、脱走の罪で京都壬生前川邸にて切腹(享年33歳)
壬生屯所を引き払い、西本願寺に屯所移転 東下の土方歳三・伊東甲子太郎ら新入隊士五十二名と共に江戸を出立 近藤勇、伊東甲子太郎ら長州訊問使永井尚志に随行し、安芸へ向かう |
慶応二年(1866) |
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01.28 02.12 09.12 12.20 |
近藤勇、伊東甲子太郎ら再度安芸へ向かう
河合耆三郎、会計上の不正の罪により斬首 三条制札事件で土佐の宮川助五郎を捕らえる 三条制札事件の功に対し、感状と恩賞金が下される |
慶応三年(1867) |
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03.20 06.08 06.15 06.23 08.08 09.20 10.14 11.18 12.07 12.16 12.18 |
伊東甲子太郎一派、孝明天皇御陵衛士を拝命、新撰組を離脱
伊東甲子太郎一派、高台寺月真院に屯所をおき、高台寺党を名乗る 不動堂村に屯所移転 新撰組、幕府直参に取りたてられる 伊東甲子太郎ら勤王運動のため九州へむかう 近藤勇、永井尚志の紹介で土佐の後藤象二郎と会談 大政奉還 近藤勇一派により伊東甲子太郎(享年33歳?)藤堂平助(享年24歳?)ら油小路で斬殺 天満屋事件 新撰組、伏見奉公所に布陣 近藤勇、御陵衛士の残党によって伏見で狙撃され、負傷 |
慶応四年 |
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01.03 01.04 01.12 01・1? 03.01 03.06 03.11 04.03 04.11 04.25 05.17 05.30 10.21 10.26 11.05 12.22 |
鳥羽・伏見の戦いに新撰組参戦
井上源三郎、京都伏見にて戦死(享年40歳) 同戦で大敗し、幕艦で江戸にむかう 山崎 烝、江戸帰還船の富士山丸に乗船直後に死亡(らしい)(享年34歳?) 近藤勇、甲陽鎮撫隊を結成し、甲府城占領にむかう 勝沼の柏尾で東山道軍と戦闘するが敗走 永倉新八、原田左之助ら靖共隊を組織し、近藤勇らと決別する 新政府軍、下総流山を包囲し近藤勇は投降する 土方歳三、旧幕府軍に参加 近藤勇、板橋にて死刑(享年35歳)。のち、京都三条に晒される 原田左之助、江戸にて傷死(享年27歳) 沖田総司、今戸にて病死(享年25歳) 新撰組、大鳥圭介傘下に入り、箱館へ渡航 旧幕軍、五稜郭入場 土方歳三軍、松前城を攻略する 閣僚選出選挙で、土方歳三は陸軍奉公並となる |
明治二年(1869) |
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03.25 05.11 05.18 |
宮古湾海戦
新政府軍、箱館山に上陸。土方歳三、函館(五稜郭)にて戦死(享年35歳) 五稜郭降伏 |
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大正四年(1915) |
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01.05 09.28 |
永倉新八、北海道小樽にて病死(享年76歳)(←77歳?)
斎藤一、東京の本郷・真砂町にて胃潰瘍で逝去 (享年72才) (←71歳?) |